とりあえず仕事の最大のヤマは越えました。昨日は仕事を終えたのが2時頃。ここ1ヶ月ほど、出勤すれば3万歩程度は歩かなければならず、比較的疲れにくいという太腿の裏側の筋肉も攣る寸前の毎日....今朝も7時過ぎには出勤、サラリーマンも楽じゃないです。それでもひと段落しそうですので、この土日はフルタイムで仕事しなくてもすみそうです。模型がいじれる、と思いきや目がショボショボorz
さて、すっかり旧客熱から派生した「夜行急行熱」に冒されていますが、82年10月の鉄道ジャーナル誌をリアルタイムで買っているコトから判るように、もともとその手の車輌・列車は好きであります。目黒方面から頂いたコメントに反応して、また、室内装飾の魔術師周辺でのネタに呼応して古い写真をご紹介しましょうか。以前はそれ程写真を撮っていませんでしたので数は少ないですし、殆どの写真は以前ご紹介した焼き直しだったりしますがね。
まずは82.11.4の606レ「越前」。スハフ45のサボを撮っています。コレを参考に「越前」のサボを作ったのでした。
同じ日に上野駅の下のホームで撮った写真、「越前」と6406レ「おが4号」の並びです。
「おが」というとキハ58のイメージがありますが2往復運行されていた時期があり、後期は14系座席車が使われていたようです。12系だとばかり思っていましたが、色々と調べてみたら14系が使われていた資料しか出てきません。よく見ると確かに14系ですね。
やはり同日、上野駅9番線には804レ「鳥海」もいました。
この写真を見て「鳥海」も欲しいと思った次第、単純なワタシです。
よく探すと旧客も写った写真もあります。80.7.28郡山にて磐越西線224レ。
客車は殆ど茶色、ED77重連の次位にはスユニ50と思われる荷物車が連結されています。
タイトルから外れますが、この当時は上野発の特急も売るほど走っており、まだボンネット型も走っていました。82.11.8上野駅8番線より。
リバイバル運転のワンシーンではないですよ(^^;
その6日後の82.11.14をもって上野駅から「とき」も「はくたか」も姿を消したのでした。
同じく上野駅から姿を消した「いなほ」。上野駅が人で溢れていたので尾久で撮ったものと思われます。
485もさることながら、旧色の415系とスハフ42っぽい客車が写っているのにはちょっとビックリ。
やはり何でも撮っておくものですな(^^;
Comments [2]
目黒のダンボさん
こんにちは。
どの列車もリバイバル運転をやって欲しいです。(笑)
郡山のED77は屋根上機器が変わっているので、試作機っぽいですね。
ぼうずさん
どうせリバイバルやるなら当時の車輌で....って、夜行急行はムリですな(^^;
ED77重連の先頭は11号機で別アングルで撮っているのですが、肝心な次位を撮っていないのですよ。多分901号機だと思います。ムカシからお間抜けなワタシであります(^^;
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